国際ビジネスコミュニケーション最終レポート

 

・海外のコンビニで国の文化の違いを考える。

 

 ありとあらゆるサービスを提供し人の生活を支えるコンビニですが、海外では日本で言うところのコンビニとは違ったサービス展開でコンビニが人の暮らしに密着しています。土地のニーズにあったサービス展開を行う海外のコンビニを調べていくうちに、その国その土地の文化の違いがみえてきました。今回はそれを紹介します。

  

・アメリカ

 まずはアメリカ。アメリカではガソリンスタンドに併設されている店舗が多いのが特徴です。長距離ドライバーのためにエンジンオイルなどカー用品の取り扱いを行う店舗もあります。


 食料品にもアメリカらしい特徴がはっきりと出ています。包装が日本のふた回りは大きそうなチップス類。ドギツイ色をしたガムやチョコレート。そして炭酸ばかりの飲み物。


 アメリカ人の食の好みがコンビニの棚によく出ています。アメリカのコンビニとは日本で言うところのサービスステーションのような役割を果たしているようです。これは広大な国土のため長距離を移動する車が多いことが理由でしょう。日本のように様々なキャンペーンなどもやっておらず、単純に補給地点としての地位にコンビニがあるようです。

 

・ヨーロッパ

 ヨーロッパでは宗教上や法規制の理由により日本での年中無休・24時間営業などの長時間営業が難しく、コンビニの数はごく少数です。ヨーロッパに多いキリスト教徒には日曜日に安息日があり、ミサに行かなければならないので仕事を休む人が多いことが年中無休にできない理由の一つではないかと考えられます。

 

 ドイツは特にコンビニ経営が厳しく、ビニが普及しなかった理由でしょう。2006年まで閉店法という法律があり、店の営業を夜8時以降と日曜日の営業は完全休業とすることが定められていたため日本のようなコンビニの営業は不可能だったことがコンビニが普及しなかった理由でしょう。

 

 しかし、デンマーク・スウェーデンなどは唯一コンビニが発見できます。日本でもおなじみのセブンイレブンが少数進出しているのです。外観は日本でもおなじみの物ではなく、ヨーロッパの街並みに溶け込むものとなっています。


 扱う商品で特徴的なのがパンです。ヨーロッパのセブンイレブンではパンをコンビニ店内のオーブンで焼きます。タイミング次第では焼きたてパンをコンビニで買うことが出来るのです。


 パンが主食のヨーロッパらしさがコンビニにも表れています。その他の商品は日本と大きく変わりはありませんが、米が主食の国ではおにぎりを、パンが主食の国ではパンを主力として扱う傾向があるようです。

 

・アジア

 アジアには2000年頃から日本のコンビニ業界が進出を初め、現在では出店数が増加の一途を辿る大激戦区となっています。日本から進出しているコンビニは、日本でのスタイルを崩さず商品・外観をほとんど変えることなく出店しています。

 

 中国では日本の進出前から出店している「好徳」などの国有コンビニと日本のローソン・ファミマ・セブンイレブンなどの有名コンビニが激しい生存競争を続けています。それによって質の高いサービスを求められることから他国と比べて洗練された店作りがなされているように感じます。中国系コンビニにコンビニ経営の経験は少なく、日系のローソンなどを参考として経営していることから、やはりサービスの内容は日本のものと大差ないことがわかります。

 

・まとめ

 ここまでの内容で、コンビニといえどその国の文化や背景でその有り様が様々なことがはっきりしたことと思います。今回の調べで私はコンビニという存在は、その国の特色を色濃く反映するものだと感じました。その国のコンビニを知ることで、その国の文化、そこで暮らす人々の生活スタイルを知る近道になるのでは、と私は思います。

 

 

2011/7/19

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追加部分「なぜ日本のコンビニは発展したのか?」

 

 1920年代には既にコンビニが誕生していたコンビニ発祥の地アメリカに比べ、1970年代初頭にコンビニ第一号店が出来たと言われる日本の方が、今やサービスの質・人の暮らしへの密着度が高いと思われることが今回の調べを通して分かりました。

日本のコンビニはこの短い期間の間にどうやってここまでの発展を遂げられたのか。

コンビニ誕生以前の日本の小売業界では、売り場が広ければ売上が多く、よって利益も多いという極めて単純な理論が業界を支配していました。それを変えたのがコンビニです。売上拡大が必ずしも利益拡大の手段ではないことを証明してみせたのです。

日本のコンビニは限られたスペースの中に客に必要とされているものを詰め込み、徹底したロス管理を行いました。現在ではコンビニで売っているものは世の中で流行っているものと考えてもいいと思います。

さらに日本のコンビニのサービスは食品と日用品だけに留まらずATMやチケット販売、各種料金の支払いなどのサービスも行っています。

アメリカのコンビニが「近くて手頃だから」という理由でコンビニと呼ばれているのに対して、日本のコンビニは「ほんとうに便利だから」コンビニと言われているのだろうと思います。

日本のコンビニがここまでの成長を遂げたのは、その本当の便利さを追求し続けているからだろうと私は思います。

 

 

国際ビジネスコミュニケーションⅠレポート

 

国際ビジネスとしての芸術文化活動

 

 大学入学後、演劇活動に携わった経緯で、某劇場関係者と最近の舞台について話を伺うことができた。この劇場は完成して今年で11年だが、最近の課題は今の観客は、たとえ面白いシーンであっても、あまり笑わなくなってきているという。それは、ストレート・プレイ(アクションシーンやダンスがあまりなく、どちらかというと、役者の演技力やストーリーを重視する芝居)だけではなく、オペラでも同様のことが言えるようだ。オペラに対する一般的なイメージは、お堅い・チケット代などで敷居が高いというものがあるだろう。見る側も役者の歌を聞きにいるので、笑いにはそれほど期待していないかと思うが、実際に観てみると、演目によってはコミカルなシーンが散りばめられ、普通に笑えるものである。

 

 観客が沸かないというのは、具体的には脚本や演出的にも明らかに面白いシーンで、かつ役者も全力で笑いを取りにいき、ストーリーがあまり把握できていない、例えば子供なども会場の雰囲気や直感で(そろそろ一発くるだろう)という場面で、たとえ演者が良い演技をしても少しも観客が反応せず、むしろ白けていることをいう。プロの役者や演出家は、その日の客数や客層や芝居中の反応を一瞬にして把握し、それによって演技をその回によって変えて(微調整して)いる。会場の反応が悪い時に役者が突っ走るという真似はめったにはしない。例えば本拠地が大阪で人気のある、関西系の劇団の東京公演の際には地元ではなくとも、これでもかというくらい観客の笑いをさらっていく。ということは、一概に関東圏の観客がおとなしいとは言えないのではないだろうか。いや、それでもやはりおとなしい。単純に公演自体が向こうの方が面白いという見方もできるが、カラオケにたとえると、どんなに面白くないお芝居でもサビで必ず盛り上がりがくるように、どんな舞台でも何回か波はあるものだ。それがほぼ無くなりつつあるというのがこの劇場だけではなく、この業界の現状である。

 

 そんな中、最近この業界において国際化を感じたことがあった。上記の沸かない劇場の例になるが、それは演出家とキャストの一部に外国人を使うと、客席や場内の反応が良くなるということである。設定や演出を今風にしていることも影響しているだろう。かといって、上記の沸かない公演が古い設定というわけではない。ここで挙げている外国人とは主に韓国人の台頭だ。現在、映画・音楽や文学などにおいて、韓国のタレント・俳優や歌手などの日本進出は珍しくない。これは1つの流れであり、ドラマや映画で韓国のタレントが成功しているからといって、舞台で起用すれば全てが上手くいくとは限らない。たまたま、この劇場で韓国人を起用する機会があり新たな試みであったこともあり、珍しかっただけなのかもしれないし、配役などで例えばチェ・ホンマンの様な巨漢が映像の様な特殊メイクをし、真面目に片言の日本語でセリフを言うのが面白かっただけなのか、演技力な無いが、存在だけで面白いのか、と見方を変えたらキリがない。しかし、舞台上の映画でいうと監督の立場にあたる演出家に、韓国人が今後増えてくるとしたら、話が変わる。なにより、日本人のキャストが多い中、演出ができるということは、実力が日本の演出家に引けを取らないことの証明である。日本人の発想に演出ができるかもしれない。これは将来、日本の、主に俳優にとっても韓国の俳優が壁になる可能性がある。映像は存在、舞台は表現の場、だと言われるが、舞台の方がより、役者の演技力が求められることは事実だ。どちらが、良い悪いではない。以前は、例えば韓国のドラマなどは日本のものを模倣しているだけで、タレント・俳優なども日本の方が容姿や演技力などでも、上という認識が少なからずあったかと思う。

 

 しかし、現在はかなり事情が変わってきている。今はこの業界に限らず、「視覚」が重視されている。例えば、女性が男性に求めるものの1つは、見ていて安心できる「清潔感」だ。話を舞台や映像に戻すと、日本のタレントや俳優も韓国に負けず劣らず「カッコイイ」いいだろう。しかし、韓国人に対しては「美しい」という表現を当てはめる時がある。彼らの方が視覚に対する意識が高いという話も聞いたことがあるし、大学生の女性の8割は美容整形をしているそうだ。もはや、俳優・タレントは、演技力云々という話ではないのだ。

 

 最後に1つ言えることは今後、映像・演劇の業界で韓国人にアジアのシェアを取られる可能性もあるということである。ドラマで韓国のドラマの日本でのゴールデンタイムでの放送などは、日本のドラマよりは視聴率が取れるのだろう。もはや、取られつつあるのか。メディアやコンテンツの変化も関係してくるのだろうが。このレポートの主なテーマは、演劇業界においての外国人(主に韓国人)の台頭や劇場での観客の反応だが、簡単に解決する方法もある。日本の映像一筋の俳優が舞台にも積極的に参加することである。日本では舞台から映像に進出して有名になったタレントも数多くいる。しかし、未だに舞台に抵抗のあるタレントも数多くいる。これは、非常にもったいないことである。舞台で日本の俳優と韓国の旬の俳優が競演しても良いではないか。なかなか、そうならないのはまだ日本のタレントの方のも多少の驕りはあると思う。あとは、劇場で舞台をもっと身近なものにするために、していないことがある。海外の例えば、イギリスの演劇などアメリカのブロードウェイなど演劇作品やミュージカルなどをDVD化して日本のサイトで「劇シネ」として購入できるようにする。このレポートを作成中、某有名タレントが最近韓国との関係でもめているので、韓国についてはもう少し考察してこのレポートを〆たいと思う。

国際ビジネスコミュニケーション

‐コミュニケーションにおける理解と異文化‐

 

コミュニケーション

コミュニケーションとは意志疎通である。2者以上の間で、言葉や表情、動作を通じて、意識や感情を共有する。言葉でも、表情でも、動作でも、コミュニケーションを成立させるには、互いに共通の認識がある必要があると思う。「一定のものに対して、既に共通の理解を有していること」がコミュニケーションにおける前提条件だろう。

 

コミュニケーションにおける言葉への依存性

コミュニケーションでは、事象や感情を表現し、相手に伝える。その最も比重の高い表現が言葉であると考える。そもそも、言葉や表情、動作に発せられる以前に、本人の頭の中での対象の存在が既に、言葉によって成立していると思う。視覚の比重も極めて大きい理解であるが、伝えるにはそれを表現しなければならない。それを念写するのが言葉という手段に現れると思う。感情以外の表現であれば、視覚化することによる疎通が最も容易で正確だとも思う。同じ様に見えているかという点を話すとさらに差違は広がるが、一応2者の目に映っているものが同一であるということは事実だ。しかし、大抵の場合、伝える対象を目に見せることが不可能である。そして、そこにいっさい同じ認識をなすことも不可能である。視覚は表現が困難なのだ。その上で、言葉が現代コミュニケーションにおける最重要要因であるということは、「電話」や「手紙」、「メール」という手段に表れるだろう。この手段はまさに言葉に依存したコミュニケーションだ。「電話」や「手紙(手書きを意味する)」には一応、調子というものが現れるが、「メール」という概念は一切の機械的な単なる記号の羅列にすぎない。このレポートや本といったものも同様、いかに「言葉」の一字一句にどのような意味を込め、どう理解されるかにかかっている。

 

「言葉」という概念

人々は、「言葉」という存在を、学校で「国語」や「英語」という教科で学んでいる。小学校に入ると、「国語」として、平仮名を書く練習から始まっただろう。しかし、幼稚園の時点で既に、平仮名は理解している子が大多数派ではなかったか。そして、先生は当然、言葉を話して授業を進めていくのだ。すると、子どもたちは、既に易しいながらの言葉を理解していることが前提とされる。そして、当然、幼稚園の頃には、質としては当然劣るものの、平仮名位ならわかるし書ける、漢字を少し位わかる子もいるし、当然、既に会話は成立している。学ぶ前から理解しているのだ。

では、言葉が通じれば話が通じる、意思疎通が可能だととらえていないか。同一の言語を話していれば、共通の理解があるととらえてはいないか。他人に何かを伝えるからには理解してもらうことが重要である。その表現方法として言葉が存在し、言葉はあくまでコミュニケーションにおける氷山の一角と私はとらえている。意志疎通を成立させるための共通の理解の形が言語として表現される。言葉は思考を可視化することによってコミュニケーションを容易にするが、それによって空洞化が起こっているとも思う。伝えたいのはその言葉ではない、その言葉によって表現されるものである。これが、コミュニケーションの難しさであると思う。

より正確に物事を伝えるならば、共通の理解がなくてはならない、一定の理解を共有することが必要だと考える。当事者同士が同じ言葉に対して同じ意味を含んでいるということだ。 同じ言語を母国語として扱うもの同士であればいいというわけでもない。同じ言葉を2人以上に与えて、その説明をさせたり、絵をかかせたりすると、一目瞭然だろう。私たちは辞書の内容を丸暗記している訳でもないし、辞書によっても様々だ。そして、正しい意味とは異なる使い方をされているものだってある。意味なんてとても曖昧で、言葉による表現とはそれくらい適当なのだ。

 

コミュニケーションにおける表情や動作といった視覚的効果

表情や動作に表わされる意味は更に曖昧だと思う。言葉は一応、いくつかの枠で同一の形をとっている。表情や動作には辞書なんてものはないし、形や角度の規定なんてあるものではない。そもそも、表情や動作をなす人が違うので、なおさら適当ではないか。言葉によって補われたり、言葉を補ったりにはなっている。言葉より表れやすいかもしれないが、雰囲気での判断しかできない。

 

国内に見る異文化

言葉も表情も動作も後天的に経験上から判断をゆだねられるものである。同じ日本人であっても、育ってきた環境は家ごとに様々だ、性別も年も、都道府県も違う、となれば、当然違いがあるのだ。この違いをわかりやすく見られるものは、「秘密のケンミンSHOW」というテレビ番組だろう。方言だけでなく、食文化や、人の対応にも表れる違いを都道府県や地域毎の特色として、紹介している。その異なる環境のなかで生まれる価値観や常識、「普通」は違ったものになる。これを逆に取ると、近しい境遇であると価値観や常識、「普通」が似たような形に形成されるはずだ。当然、100%寸分違わぬ理解を得ようなんて毛頭思ってないはずだ。こうして、コミュニケーションは成立しているのだろう。

 

コミュニケーションに現れる価値観や常識、「普通」という概念

価値観や常識、に現れる「普通」という概念は特に曖昧極まりない。

例えば、テストで98点を取った子Aと2点を取った子Bがいる、喜ぶのはどちらか。テストは高い点の方がいいと考えれば前者が喜ぶはずだが、その子は普段ずっと100点を取っていた、となると喜べるはずがない。Bについても、普段ずっと0点を取っていたら、2点だって喜べるのだ。この場合、Aの普通は100点だが、Bの普通は0点だ。既に、「普通」の違いが現れた。他にも、そもそも点が高いほうが良いという考えが間違いだったり、低い点をとろうとしていたとか、一定の点数を狙っていたとか。これも先にいう前提条件にあたいするだろう。さらにこのテストにAB以外に4人が参加していたとしよう。平均点が80点だった場合、Cが100点、Dが100点、Eも100点、Fが80点だった。普通は多数派のACDEか平均のFか。

このように見られる「普通」の差違。価値観や常識も含め、これらの概念は全て、人として、人生を送っていく上で環境に依存して形成される後天的なものだろう。一言に「環境」とまとめたがこれは現在いるその場の状況だけに依存するわけではない。その状況が形成されるに至る歴史的背景や変化全てを含めて、今のその環境に現れる。そのすべてに依存するのである。一代で築かれた慣習から遥か何千年の昔からの風習に従うものまで全てによって差違があるのだ。すると、やはり誰一人として同じ境遇や環境を共有することはない、よって、価値観も常識も「普通」も誰一人一致しないのだ。

先のテストの例には、価値観や常識、「普通」という後天的に形成される概念とはまた別にその当時の心情と言うものも関係するだろう。特に、この辺の理解は判断しがたい。しかし、コミュニケーションにはこれを理解する必要があるのだ。

 

国家という異文化における言語コミュニケーション

ここでようやく国家という異文化、外国人とのコミュニケーションにおいてを考えよう。通常異文化とはこの場合をさすだろう。違う国、違う言語、違う文化圏だとどうなるのだろうか。普通に考えて、先の例より、より大きな差違が生まれるだろう。まあ当然、一切わからないような言葉同士でのコミュニケーションなんて不可能に等しいだろうで、そこで、人は外国語を学ぶのだ。

例えば、「私は、学生です。」と日本人が自分を指差していうとしよう。英語で「I am a student」と訳すだろう。ここで生まれる違いは、文章はさておき、まず動作から、日本人は、自分を指す時、人差し指で鼻を指すらしい。欧米では、親指で胸を指すとか聞いたことがある。この差違に大きな誤解を生む不安はあまりないと感じるかもしれない。しかし、これは同じことを指すのに対し、違う表現が行われるということだ。言葉が通じないのなら身振り手振りを交えてという考えもある。しかし、「こっちにおいで」という動作が別のところでは、「あっちに行け」という表現だったりするのだ。 

次に、言葉について、私が気になるのは「学生=student」というあたりだ。学生とは、大学や高等専門学校などに在籍する者、Studentは教育機関で学ぶものという意味のようだ。日本人は中高生をさしても学生というが、誤差の範囲内で意味の差が表れてくる。そもそも、学校自体の制度や環境に違いがあれば、なお複雑になる。そして、英語に訳したものを再び日本語にするとしよう。英語のaの単数という意味もいれて「私は、一学生(もしくは生徒)です。」とすべきか。この違いを恐れるなら、より多くの言葉を付け足さなくてはならない。例としては大した違いは出ていないが、翻訳機で文章を再翻訳してみると、とても面白いことになる。もし仮に、私の話した言葉が再翻訳後の言葉として理解されていたら。ここに生まれる差異が私はとても不安だ。外国語を話すにおいては文法や発音とかそれ以前の問題が重要だと考えるのだ。当然、同じ言語を話していてもしかり。

他にも、日本には外来語がとても多い。普段カタカナで使っている言葉は本来の外国語の意味とは少し異なるものもある。日本語の感覚でそれを外国語として使えば、差異は更に広がる。

 

異文化による差違

そして、国民性というか、性格も異なるだろう。日本人の謙虚さというところか「つまらないものですが」という言葉、そのまま外国語にして言えば、「つまらないものならいらない」という展開になると聞いたことがある。英語だと「I hope you'll like it」とか、中国では逆に、努力や価値を強調する。どちらも日本の様にへりくだっては言わないようだ。遠慮というようなものも同じだろう。言葉を一対で訳してしまうと、その言葉の表現する本来の意味が見えてこなくなってしまうことがこれだ。他にも、日本ではふつうに行っている動作が外国ではよくないこととされているとか、同じ動作が表現する意味が違っていたり。笑っているだけで捕まってしまうという様な条例がある地域があると聞いたこともある。習慣とか文化とか感覚的で、経験から得るようなものは、一つの感覚をもってしまうと、それと異なる感覚を理解することが難しくなる。文化や習慣は、気候や地理などの環境に適応していく形で、歴史的な背景をも経て形成されていくもので、そうして形成されてきた環境や文化圏に依存して、国民性などと言う差に表れるのだろう。

正直、こんなことを考えていては、外国人はおろか知らない人、知っている人とも接することができなくなってしまう。

結果、異文化コミュニケーションはとても難しいと言っているようにも見えるが、上で述べているように、同じ言葉で同じ文化圏であろうとコミュニケーションは簡単ではなさそうだと思っている。言葉だけではなく相手の価値観や感覚を考えることが大切だろう。そして、経験を積んでいく上で「こうなんだろうな」というような理解が見えてくるのだろう。

 

異文化への適応

私はかつて、国際共通語があればと思ったことがある。今は、英語が共通語とされるが、そのように、ある地域の言葉を世界の共用語とするのではなく、どの既存の言葉ともない全く別の言葉があればと。英語を共通とすると、英語圏の人、英語が母国語の人に有利というか、不公平なのだ。とはいえ、世界のあらゆる感覚を一つの言語に集約し、それを理解する過程は、その言語の作成からすべてとても大変だ。それに、地域や文化が異なるから結果やはり派生してしまうのかもしれない。それでは意味がない。なので、考えるのをやめた。

 

コミュニケーションの前提と5感による認識 

 「一定のものに対して、既に共通の理解を有していること」を前提条件と挙げたが、そもそも、それ以前に、一個人内での認識が必要だ。人々の感覚を司るのは5感である。このどれか一つでも欠けた状態を想定したことがあるだろうか。例えば、聴覚がない場合(同時に話せない)、視覚からに依存するだろう。ここでの「ない」とは、失った場合ではなく、最初から存在しないこと。聞こえず話せずとも、言葉を視覚から判断する事は可能だ。しかし、音の上下など体感したことのないことをどうやって理解するのか。視覚のない場合は、さらに困難だ。例えば、「ピンクってどんな色だっけ?」となれば、「赤を薄くした感じ」とか、これには「赤」や「薄い」が理解の前提条件となる。元々存在しなければ、脳内のイメージもわかないと私は考えるのだ。触覚も嗅覚も味覚もしかり、このような状況を私は持ち合わせていないので、当然理解できない。しかし、この境遇をもってしても、理解を与えるものがコミュニケーションにおける成功を意味するだろう。先の<「言葉」という概念>にあげた幼稚園前に言葉を理解しているという点から、当然生まれてすぐには言葉や常識もいっさいなかっただろう我々が何をもって両親などとコミュニケーションを可能にしたのか。幼児が0から物事を認識・理解していく過程もまさに、異文化コミュニケーションに値するのだろうか。この場合は、文化が形成されておらず、認識も理解も存在しないのか。存在しないのなら、異文化にもコミュニケーションにも値しないのか。私の頭では、理解の到底至らないばかりだ。

 

コミュニケーションにおける理解と異文化

以上様々な例を用いたが、私はコミュニケーションにおいて、絶対の理解、正確な伝達は不可能だとも思っているので、曖昧さが逆によりよい理解を生むと思う。現代では、様々な言葉の辞書も翻訳もあるし、文化や習慣だって形として示されている。それを見て知ることができる。例えば、はるか昔、まだ言葉が成り立っていないとき、知らない人とどのように打ち解けていったのか。きっと、言葉も文化も見た目も全く違う、言葉も一切通じないような人と出会って2人でなんとかしてみると、異文化コミュニケーションということがよりよく理解できるのだろう。こう考えるととても、異文化コミュニケーションは大変な気がしてくるが、実際、辞書にも載っていない言葉を私たちは話している。現代語やギャル語などの新たな言葉が生まれて、理解できないと言われたり、逆に死語と呼ばれるものがあったり。

環境が違えば文化は違う。私と今隣にいる人だって十分「異文化」と言えるだろう。昔はなかったものが今は必需品になっていたり、当時イケていたものが今ダサかったり。自分たちが生きている中でも、文化は日々変化していくものであって、自分だけでも十分「異文化」と呼べる価値観の違いや環境の変化を体験しているのである。こう考えてみると、何一つ通じるものがなくてもわかりあえるのかもしれない。

異文化コミュニケーション

~異文化と隣り合う私たちの暮らし~

 

 地球には約13億人が暮らしている。200以上の国と地域があり、民族単位となると数えられない程、存在する。そんな中で私たちは日々生活している。そして、今日では世界中の人が世界中を旅行したり、海外に移住したりしている。日本を見ただけでも毎年860万人程の旅行客が日本を訪れ、200万人もの人が日本に外国人登録をし、5万人の人が日本に移住している。日本人もまた1660万人もの人が海外に旅行に行き、100万人の人が海外に移住している。また、グローバル化が地球規模で進む現代はビジネスにおいてもパートナーは同一民族とは限らない。これらのことから分かることは、生涯で同一の民族とだけ接するということが稀になり、他の民族と接する機会が増すということだ。他の民族と接する機会が多くなるということは、当然の如く自国の文化は常識として通用しないということになる。自分がパートナーとなる人の国・民族の文化に合わせなくてはいけないということも出てくる。それぞれの国には他の国にはない独特の文化・価値観が存在する。ここでは2つの事例を挙げることとする。

 

 1つ目の例は、差別の問題である。特にビジネスでも関わりの深いユダヤ民族やロマ民族への理解は必要だと考える。それらの民族は、1930年頃からナチスドイツにより迫害を受けた民族である。また、伝統的な差別意識は未だ東西ヨーロッパに残っている。そのため差別に対しては日本人よりもはるかに高い認識を持っている。この事実を知らずに接すると差別という捉え方をされてしまう可能性もある。また、ビジネスにおいては信頼関係が重要であるため注意を払わなくてはならないと考える。

 

2つ目は、マナーの問題である。ここでは、訪問時に手土産などを渡す時のマナーを例として挙げる。日本で手土産を渡す時は、「つまらないものですが。」と言って謙った言葉を使うことが常識である。一方、アメリカや中国では日本のように謙った言い方は無礼であるとされ、「(あなたのために)一生懸命探した。大変だった。」などと言い、自分の努力を先行し、共に相手を思いやる言葉を使用する。また、頂いたものに対しても認識が異なる。日本人の場合、「美味しく頂いた。」と言い相手をたてるが、中国や香港では貰ってものに対してもはっきりと批判を言うようである。仮に、日本人がこの事実を知らずにアメリカ人や中国人へ手土産を渡すと、受け取った方は不快に思うだろう。反対にアメリカ人や中国人がいつもの感覚で日本人に手土産を渡したり、頂いたものに対しての批判を言ったりすれば、日本人は不快に思うはずだ。そして、不快に思うのは、受け取った方だけでなく渡した方にもあるだろう。アメリカ人や中国人からみた日本人は、「あまり喜んでいないようだった」と感じてしまうだろう。

 

私は、初対面の民族の人に対して、上記のような行動をとってしまうのは仕方ない部分もあると考える。アメリカや中国など世界的にも知られており、日本とも深い関わりがある国であれば予めその国の文化を知っておくことは可能であるが、最初に示したように世界には何千という民族が存在するためその全ての民族の文化についての知識を得るのは困難であると思う。しかし、最もいけないことはその民族と初めて接した後、相手国の文化を学ぼうとしないことである。初対面では互いの文化を知らないであろうとも次の機会で相手国の文化を理解していればお互いに不快な思いをする必要もなくなり、意志の疎通も迅速に行えるだろう。更にその文化の知識を得たことで次からはその民族と自信を持って接することが出来ると考える。

 

 以上で述べたように日々グローバル化が進んでいる現代、これから私たちが生活していく上では、異文化がすぐ隣に存在するということを念頭に置いき経験から学び自国の文化のみでなく、異文化も自分のものとして習得していくことが重要である。また、現代の日本は異文化に対しての教育が不十分であると思う。韓国では「英語村」というテーマパークがあり、そこで異文化に触れ、言語も学んでいく。日本の場合は、言語教育が先行してしまい文化に触れさせる機会が少ないのではないかと思う。グローバル化が地球規模で進む今こそ、異文化に触れさせる機会を増やすべきだ。

 

参考URLhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/tokei/hojin/index.html

http://wiki.blhrri.org/jiten/index.php?%A1%F6%A5%ED%A5%DE%CC%B1%C2%B2

2010年秋学期ゼミレポート:学生A

 

 

相手を元気にさせる国際ビジネスコミュニケーション

 

 

1.国際ビジネスコミュニケーションに必要なこと

 

国際ビジネスコミュニケーションに必要なことは、相手と継続的な関係を結ぶことである。そのためには相手を第一に考え、相手を元気にさせることが重要である。

 

2 相手と良い関係を結ぶためには

 

2-1 相手を喜ばせる

 

相手と良い関係を築くためには、相手を喜ばせると良い。相手を褒めたり、相手と同じ気持ちを共有することなどによって、相手を喜ばせることができる。

 

そのためには相手のことをよく知らなければならない。相手を褒める場合、一言で済まさずに具体的なことを取り上げると良い。相手のことをよく知っておけば、相手のことを具体的に褒めることが可能である。相手は自分のことをよく見て評価してくれていると判断し、大変喜んでくれる。

 

また、相手が何か良いことがあったら、それに対してすぐにお祝いの言葉を贈る。例えば、相手が昇進や結婚をしたときなどに、一言でもいいので迅速にお祝いのメールなどを送ってあげると、相手は嬉しいと感じる。

 

2-2 相手を傷つけず、前向きに考えさせる

 

相手と良好な関係を続けたければ、相手を傷つけたりしないことを心がける。

 

例えば、相手が何か失敗をしてしまったときには、決してそのことで相手を責めたりしてはならない。相手を責めてしまうと、相手の感情は傷ついてしまうし、相手はこちらのことを敵として見なしてしまうかもしれない。こちらのことを敵と思われてしまうと、相手はこちらの言うことを聞いてくれなくなってしまう。自分の失敗を人から責められると、その人は落ち込み、仕事に対してやる気を失ってしまう。

 

したがって、相手を責めたりせずに、「この失敗を次に活かせば良い」などの言葉をかけてあげることによって、どんな時でも相手を前向きに考えさせて元気づけることが大切である。

 

2-3 相手の意見・考えを聞いてあげる

 

ビジネスのパートナーとして付き合う以上、双方の意見や考えを伝えあわなければならない。その際、相手の意見と対立してしまうということがあるかもしれない。そうならないためにも、まずは相手の意見をしっかりと聞いてあげることが必要になる。相手がどういう立場や都合に基づいて意見や考えを伝えようとしているのかを把握する。その上で相手とこちらの都合を考慮した上で妥協点を考える。

 

2-4 相手とWin-Winの関係を結ぶ

 

相手とこちらの都合を考慮し、双方にとってプラスとなる意見を提案し、相手とWin-Winの関係を結ぶことが大事である。こちらの都合だけを一方的に述べても相手は納得してくれない。ビジネスで相手とやりとりをする際に、相手の利益を第一に考え、相手にとっても確実にプラスとなるような提案をする。

 

2-5 相手と親しくなる

 

お互いに親しくなれば、双方にとってメリットがある。相手と親しくなるためには、例えば、ビジネスメールを送るときに表面的な仕事のやりとりだけでなく、ユーモア溢れるメールを送ってあげるといった工夫も必要である。

 

例えば、相手を笑わせるメールを送ってあげることによって、相手に「この人となら楽しく仕事をやることができるから、仕事をするのが辛くない」というようなことを思わせることができる。

 

お互いに親しくなれば、ビジネスでもプライベートでも、困ったことがあれば力を貸してもらえるといったこともあるし、あるいは励ましの言葉を送ってくれたりもする。

 

3.相手を元気にさせれば、継続的な関係を築ける

 

ビジネスの相手を元気にさせることができれば、自分も元気になる。自分が元気になれば、また相手を元気にさせることができるというプラスの循環を産み出すことができ、相手と永久的な関係を築くことも可能になる。

 

相手を元気にさせるコミュニケーション術は、相手と継続的な関係を結ぶために大いに役に立つ。だからこそ、我々は相手を元気にさせるコミュニケーション術を学び、実践していくべきである。(了)

 

 

 

2010年秋学期ゼミレポート:学生B

 

 

国際ビジネスコミュニケーション最終レポート

 

 

件名:Mr.joyへ あなたのテレビに是非!!

 

本文:こんにちはMr.joy。風邪など引いていませんか?仕事のしすぎは体に毒ですよ。時にはしっかり休んで下さい。

 

いつもお世話になっています株式会社YU電気貿易担当のXXXXです。本日は我が社の新製品のご案内がしたくメールしました。

 

その新製品とは半導体メモリーです。我が社の技術の粋を結集した自信作です。

従来の製品に不満はありませんか?もし不満があるようでしたら我が社の製品をおすすめします。

この半導体メモリーについて詳しく申し上げますと、今回の製品は従来品にくらべより軽く、より小さく、より低故障、より耐振動性が高いものとなっており、高品質が売りです。さらに保障体制も整っています。このメモリーを採用すれば、あなたの製品は今より格段に良いものになることでしょう。

 

さて、今安さを売りにしている韓国のメーカーさんの製品ですが、こちらは色々なところでコストを下げているため、少々作りが荒いものもあるそうです。納品されたばかりの製品なのに破損していたという話も某氏から聞いたことがあります。もし、韓国メーカーさんの製品を検討中でしたらご注意ください。あなたのすばらしい製品を傷つけてしまうかもしれません。

 

最後に、価格の話になりますが、残念ながら韓国メーカーさんより1~2割程度高くなってしまいます。ですが、我が社は御社と一緒により良い製品を作っていきたいと思っていますので、上司とも相談して価格交渉させていただきたいと思っています。さらに、今注文していただければ1週間以内に届けさせていただきます。さらに、多く注文して頂ければさらにお安くできると思いますので是非我が社の製品をよろしくお願いします。

私たちでより良いものを作っていきましょう。そしてお客様に喜んで頂きましょう。

 

今後も素晴らしい仕事をして下さい。またお会いできる日を楽しみにしています。

それではまたお会いしましょう。(了)

 

 

2010年秋学期ゼミレポート:学生C

 

 

コーナン電気株式会社社長へ

こんにちは、TAMA電気貿易担当のXXXXです

 

私たちの電気メーカーでは他の商品よりも容量が大きく、回転速度が速い半導体メモリーを販売しています。

今、海外の電気メーカーでは価格が安いものも出回っています、その中でも私たちの半導体メモリーの価格は高めでありますが、他のメーカーの商品よりも劣化せずに半永久的に記憶保存をすることが可能です。

 私たちのメーカーの半導体メモリーを使って商品開発をすれば、あなたのメーカーの商品はより良いものになるでしょう。

 

 是非、私のメーカーの半導体メモリーをお願いします(了)

 

 

2010年秋学期ゼミレポート:学生D

 

突然のメールで失礼いたします。

私、XXXX株式会社制作部のXXXXと申します。

私どもXXXX株式会社は主に半導体メモリーの制作をしています。
実はこのたび、貴社には新商品「超小型音楽機器」の半導体メモリーの作成を弊社で担当させていただけないでしょうか。
弊社は世界で唯一、超小型・超薄型の半導体作成に成功しています。貴社の超小型音楽機器に弊社の超小型・薄型半導体を加えれば鬼に金棒でしょう。

今回の「超小型音楽機器」立ち上げに関して、弊社のスキル、ノウハウは必ずや貴社のお役に立てるものと確信しております。

お忙しい中恐縮ですが、弊社の業務内容・実務等を掲載したホームページをご覧 の上、弊社へのお仕事をご検討いただければ幸いです。(了)

 

以上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国際コミュニケーション

「絶え間ない努力や、他者に対しての向上心の根底」

 

 ユダヤ人や華僑といった流民の歴史を持つ人々は、東南アジア、欧米諸国で、財界や政界で一定の力を持っているが、その根底には、流民として定住を持たぬ者同士で、努力や向上心を絶やさずに、個人の能力で生きていくしかないといった悲しい歴史があるからだ。ユダヤ人を例にとると、彼らは激しい職業制限があり、金融業といった人々が忌避する仕事ばかり押しつけられた。しかし、彼らは、個々の努力を重ねて、財を増やすに至ったが、それが、主民族の反感を買い、迫害を繰り返されるといったことが続いた。

 

このような背景は、華僑にも多く類似している。1つに、自身を守ってくれるバックボーンがないために、個々の人々が向上心を絶やさずに、その国の主民族が及ばないような、財界、政界へのバックボーンを持つように、日々、商業的にも、学術的にも他者に負けぬ努力をしたことであると考える。華僑の人々も、ユダヤの人々のように、成功を目の敵にされ、迫害政策や、自国民を優遇するといった扱いを受けてきたが、したたかに生きてきた。

 

 我々日本人のような、追われる民でない者には、彼らの絶え間のない努力や向上心を実現させることは、いささか厳しいものであるが、逆境は人を成長させる好例の1つであるのは間違いないと考える。

 

 現在、私たちの国も、財政、不安定な政府、雇用不安と多くの逆境に立たされているが、彼らのように、私たち個人が問題意識をもち、解決のためには、どのように努力すべきかを考える良い機会であると考える。追い詰められているからこそ、生きるための努力は怠らないのであって、私達にできないはずがないと、考えることができる。

(了)

「コミュニケーション能力の質の向上」

 

1 3つの要素

 

私がこの授業を受け学んだことは大まかに分けて3つある。

 

まず1つ目は異文化コミュニケーションをする際は相手の背景を知る必要があると言うこと。2つ目は相手の立場に立って考える"You Attitude"の考え。3つ目は会議に出る際の姿勢。この3つである。

 

1-2 相手の背景を知る

 

異文化コミュニケーションをする際に一番大切なのは、相手の背景についてしっかりと理解をするということだ。それはどういう事かと言うと、相手の出身地、その出身地の歴史文化を学ぶと言うことだ。相手の宗教もできるなら知っておきたいが、安直な聞き方をすれば、相手が壁を作ってしまう可能性もあるので、無理に知る必要はない。

 

なぜ相手の背景を知ることが重要なのか。それは、相手を何も知らず、理解もしていないと、自分が何気なく発した言葉で、相手を傷付けてしまったり、さらには怒らせてしまう可能性があるからだ。

 

具体的には、キリスト教徒以外にはクリスマスカードを出してはいけないことや、日本とアメリカのセクハラに対する考え方の違いなどが挙げられる。これらのことを理解していないと、ビジネスどころかコミュニケーションすらできない人間になってしまう。

 

つまり、日本の常識が世界の常識ではないと言うことを肝に銘じなければならない。

 

1-3 思いやりの精神

 

コミュニケーション能力の1つとして"You Attitude"という考え方がある。これは、相手を大事にした考え方、相手の立場に立って物事を考える異文化文章術のことだ。

 

メールの返事を例に挙げるとすると、返事は早く書くこと、理解しやすいような配慮、自分の主張だけを書かずに、相手の立場から考えること、さらに、相手の感情に配慮することなどがある。

 

親しい仲になると、個人的なタッチ、つまり、会話調の文体、ファーストネームを使ったり、ユーモアを交えたりと友達の様な付き合いに発展していく。だが親しき仲にも礼儀ありで、相手が昇進したり、好成績を残したら祝いメールをすること、エチケットをわきまえるなどの配慮は必要である。

 

このYou Attitudeの考え方は、何かを断ったりする際にも必要になってくる。何かを断る際には、相手に何か欠点があったから断るということは絶対にしてはならない。この様な場合は、自分側の事情で断らなければならなくなったという様な説明をすべきで、断った本当の理由はいらないと言っても良いだろう。

 

つまり、正直が良いとは限らないということだ。

 

1-4 会議に出る姿勢

 

これは異文化コミュニケーションと関係ないと思うかも知れないが、会議は立派なコミュニケーションの場である。会議に出る際は事前にその会議のテーマを調査し、自分の主張を考え、質問を準備することが重要になる。

 

テーマを事前に調査することで、そのテーマに意見を持つことができる。逆に意見を持っていない人は会議に必要ないと言っても良いだろう。質問などをし、提案をしたりと会議に貢献するということは、会社に貢献すると同じである。

 

これらのことを踏まえた上で会議に臨みたいものである。

 

2 最後に

 

私はこの授業を受け、異文化コミュニケーションとはとても難しく、気を使うものだと知りました。相手を傷つけない様にしながら、自分の主張もきちんと言わなくてはならない。そんな難しいことが自分に出来るのかと思っていましたが、この授業で異文化コミュニケーションの楽しみも教えてもらいました。コミュニケーションはとても難しいものだけれど、相手と分かり合えた時には達成感や充実感を味わえると思いました。

 

今まで教えてもらったことを生かし、コミュニケーションをしてみたいと思います。

(了)

 

日本のグローバル化と国際ビジネスコミュニケーションの必要性

 

1.価値観や文化の違うもの同士だからこそ新しい価値を産み出せる

 

 世界でグローバル化が進んでいる中、どうして国際ビジネスコミュニケーションが必要になるのか。それは価値観や文化が違うもの同士だからこそ新しい価値観を産み出すことができ、そのためには国際ビジネスコミュニケーションが必要だからである。例えば、食文化について見てみると、インドで生まれたカレーという食べ物は、イギリスに伝わり、さらにイギリスから日本へと伝わった。日本に伝えられたカレーは、日本海軍がアレンジして、カレーライスという日本独自の新しいものが生まれた。その結果、カレーライスは日本中に広まり、今や日本の国民食となった。さらには、日本だけでなく、海外の人も日本に来たら絶対に食べたいと思うほど美味しいと評判になっており、本場インドの人ですら、美味しいと言わせられるものになっている。このことが、インドからイギリス、イギリスから日本だけでなく、世界へ通用する新たな食文化を産み出すことに成功している。

 

 このようなことから、価値観や文化の違う者同士だからこそ、国際ビジネスで新しい価値や文化を産み出す可能性が感じられる。国際ビジネスによって新しい価値を産み出し、それに対して文化の違う者同士が同じ喜びを感じられる可能性があるとは、実に面白いものだと私は思う。だからこそ、国際ビジネスコミュニケーションというものは、今後、ますます必要になるのではないかと私は考える。

 

 2.現代の日本には国際ビジネスコミュニケーションが必要

 

今の日本はグローバル化が進んでおり、海外へ行く日本人も増えている。また、海外から日本へやってくる外国人も増えている。人々が増えると、それだけ日本と海外の関係で摩擦が増える。摩擦が起きると、例えば個人レベルではストレスや精神障害になり、会社レベルでは海外の現地社員の離反や訴訟が起き、国レベルになると反日感情が高まり、中国や韓国ように反日デモが起きることもあり、日本と海外の国々との関係上、良いとはいえない。文化の違うもの同士が融合して新しい価値や文化を産み出すためには、こうした問題を解決しなければならない。したがって、国際ビジネスコミュニケーションが必要になる。それでは、国際ビジネスコミュニケーションのために一体どんなことをするべきなのか。

 

3.国際ビジネスコミュニケーションのためにするべきこと

 

3-1.異文化という相手を知る

 

 国際ビジネスコミュニケーションのために必要なこととして、一つは異文化という相手を知ることが必要になる。相手は日本人とは違う価値観や文化を持っていることを、まず頭の中に入れておかなければならない。例えば、アメリカとのビジネスのやりとりをする時には、相手はユダヤ系アメリカ人であることが多い。ユダヤ系の人はキリスト教ではなくユダヤ教なので、この人たちに「メリークリスマス」と言ったり、クリスマスカードを渡すのは適切ではない。

 

 また、日本で言われているセクハラと、アメリカで言われているセクハラは意味が違う。日本ではセクハラは男女関係の延長と狭い意味で考えられるが、アメリカでは女性が仕事をしづらくさせられることもセクハラとされるため、日本のセクハラよりも広い意味を持っている。このことを、アメリカで働いている日本人のビジネスマンが知らないでいるとトラブルを起こしかねない。だからこそ、異文化を知ることは大切になる。

 

3-2.自分を知る

 

もう一つ必要なことは、自分を知ることである。なぜなら、自分のことを人に話せないような人は得体の知れない人として、信用できない人と見なされる可能性があるためである。ビジネスにおいては人から信用されることが大事である。取引相手から信用されないと、ビジネスは成立しない。よって、自分のことや、自分の国の文化や歴史を知った上で、相手にそれを伝えられるようにしておくことも必要である。自分のことについては、「なぜ自分が海外へ行ってビジネスをするのか」ということや、「自分はどういう考えや価値観を持っているのか」ということを知っておかなければならない。自分の考えや価値観について言えば、ビジネスでは「あなたはどう思うのか」と会議などで自分の意見を問われることが多い。このとき、いくら自分が現地の言葉自体を上手に話せる能力があったとしても、自分の考えが確立されていなければ答えることができない。現地の言葉を話せることは国際ビジネスでは望ましいことだが、それ以上に大切なのは自分の考えをしっかりと持ち、それを相手にしっかりと伝えることだ。自分だけでなく、自分の母国のことも知っておかなければならない。ビジネス上では「日本の経済は今どうなっているのか」といったことが聞かれるかもしれないし、プライベートでの付き合いでも「日本にはどんな文化や風習があるのか。」といったことも聞かれるかもしれない。こういったことを知らないでいるとこうした質問にも答えることができず、海外の人から「日本人としてのアイデンティティというものがないのか」と、自分に対して良い評価をしてもらえない。だからこそ、自分と自分の国について知るべきである。

 

3-3.コミュニケーションの技術を学ぶ

 

コミュニケーションの技術を学ぶことも国際ビジネスコミュニケーションをするうえでは必要である。コミュニケーションは、理屈と感情の二つのやりとりである。いかに相手の感情に配慮しつつ、理屈を通すかというテクニックが必要になる。

 

そのためには、できるだけシンプルな表現で相手に伝えると良い。なぜなら、複雑な表現では、相手が自分の思ったとおりの受け取り方をしてくれるとは限らないからである。だから、シンプルな表現で伝えることによって、相手が自分の望んだ通りの受け取り方をしてくれるようになる。

 

また、You Attitudeという、相手の立場から考えることも大切である。返事を早く出さないと、相手は「うちとビジネスをする気がないのか」と思ってしまう。だから、相手のことを大事にすべきである。

(了)